チャレンジャーの軌跡

第11回「12年かけて"銀行"という組織で学んだこと」(中編)

2009/01/07

インタビュアー:有政 雄一

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こうした融資業務を3年間続けた後、彼は財形部に異動となり、2年間、そこに在籍した。
2年が過ぎ、異動願いを出すと聞き届けられ、今度は大手デベロッパー相手の融資を担当する部に異動となった。
当時、20代半ば過ぎだった彼は、ある大手のデベロッパーの担当になった。
一回の融資金額が100億円を軽く超える、大事な“お客さま”だった。

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先方の担当者に「(そんな若い人をつけるとは)うちを舐めるのもいい加減にしてください」と彼の上司がすごまれたというから、よほど異例だったのだろう。“優秀だからという理由で選ばれたわけではない、よくあること”と彼は当時を謙虚に振り返るが、若くして重要クライアントを任されるくらいの実績が評価されていたのは確かだ。
結果的に、デベロッパーの担当者の言葉は正しかったかもしれない。
彼は、新たな取引方針をまとめた社内向けレポートで、そのデベロッパーへの融資を減額すべきだと書いてしまったのだ。

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彼は言う。「その企業に、銀行の調達金利より低いレートで貸していたんですよ。レポートには、リスクに見合うリターンをきちんと取るべきだという当たり前のことを書いたまでなのです。海外向けには、ちゃんとそれを実行していたのですから。昔からの慣習とか、大口の顧客とか、そういう理由で存続しているビジネスは、必ず、たち行かなくなるはずだと思ったのです。上司に“ふざけるな”と言われて、減額は実行されませんでしたけどね」。
しかし、彼の考えが正しかった。
「土地の価格は上がり続ける、株価も暴落しない…。どうしてそう言い切れるのか、銀行の常識がほんとに不思議でした。それよりも、“時には常識を疑い、しかるべきリスクを取りながら、リターンを最大化することを考える”という考えを感覚的に当時からもっていたのです」。そのうち、大蔵省通達による不動産の融資規制がはじまり、土地も株も暴落、不良債権を抱えた銀行への世間の風当たりが強まり、以後、金融“冬の時代”が到来する。

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2年半のデベロッパー営業を体験した後、突然、東京営業部への異動が言い渡された。そこで、特命担当したのが、静岡県の熱海にあるリゾート案件の“後始末”だった。数100億円もの資金をつぎ込んだが、バブル崩壊で返済の目途が立たなくなっており、その返済スキームをつくり実行するというプロジェクトだった。
「もともとのオーナーには半年で辞めてもらい、その後に新しい社長を送り込みました。私は、どうやって再建させるかを現場の声を聞きながら考えたのです。スキームを作るうえで困ったのは、私は経済学部出身で、法律の知識が皆無だったこと。契約書ひとつ満足に作れませんでした。そんな中、著名な弁護士とタッグを組んで仕事に取り組み、OJTで、足りない知識と経験をたくさん身につけることができました」。

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