チャレンジャーの軌跡

第10回「12年かけて"銀行"という組織で学んだこと」(前編)

2008/12/17

インタビュアー:有政 雄一

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特殊印刷会社を営む両親のもとに生まれ、当時、大学4年だった青年も銀行が第一志望だった。
親類縁者にも経営者が多かった彼は、将来、企業経営に携わることを夢見ていた。
サラリーマンとして、ひとつの組織に人生を預ける気はさらさらなく、10年ほど銀行につとめ、幅広い視野と企業経営の基礎を身に着けようと考えていた。
結局、就職したのは大手銀行だった。
彼は語る。「この大手銀行に決めたのは、若手の頃から自由に仕事を任せてくれるような雰囲気が感じられたのと、大学のラグビー部の先輩がいなかったから(笑)。先輩がいると、しがらみにとらわれて辞めにくくなると思った。それと学生時代にラグビーで心身ともに限界までやり遂げた気持ちもあり、社会人ではラグビーをやるまいと考えていました。先輩から誘われると断れないですからね(笑)。」

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最初の配属先は、新しい融資先を開拓する新店舗だった。
この銀行は長期資金を企業に供給する目的で設立された為に、大企業取引が中心であったが、これら大企業に対する融資の減少が想定されるなか、この部隊は今後有望な中小企業を発掘する戦略組織であった。「珍しい?体育会系の馬力がありそうなヤツと思われたのでしょうか(笑)。」
若手は彼ひとりで、支店長自ら教育係となり、3か月間、マンツーマンでみっちり仕込んでくれた。「名刺を持ってひたすら配りまくるんだ。いわば特攻隊だな。どんな会社でも構わん。ただひとつの条件は、不動産以外の業種を狙うこと。それがお前自身の勉強にもなるはずだ」という支店長の言葉を受け、ひたすら候補先企業への飛び込みでの訪問営業をしまくり、足を棒にして歩き回る毎日が続いた。

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当時は大手銀行というブランドがあったこと、まだまだ景気は好況を呈しており資金需要が旺盛であったことから、比較的、簡単に新規候補先の経営者に会うことができた。数か月もたつと成果もではじめ、それと同時に、融資というビジネスの要諦も徐々に身についてきた。
当時、顧客として若者向け衣料の販売で急成長を遂げているA社があった。業績も右肩上がりで、株式公開も間近と噂され、財務諸表も非の打ち所がなかった。「実は私、かなり慎重なたちで、仕事に慣れるにつれ、融資先の経営状況を徹底的に調べるようになっていました。もうひとつ実行したのは、毎週欠かさず訪問しては、同じ内容の質問を違った角度から投げかけてみること。答えがブレる経営者は、どこかで嘘をついているわけですから、そういう企業への融資はやめるべきだと考えました。最後はやはり、人です」

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A社の場合がまさにそれだった。表面上は優良企業だったが、社長の言動がどこかちぐはぐだった。思案のうえに、融資打ち切りの判断を下した。
彼に審査部がその理由を問いただす場面もあったが、ほどなく彼の判断の正しさが明らかになった。
数年後にA社が多額の負債を抱え倒産したのだ。
一方、同じ若者向け衣料販売業でも、上野のアメ横出自のB社には、無担保で融資した。経営者の人柄と言動、それに戦略もしっかりしていた。しかし、アパレル企業への無担保融資は、当時非常識の範疇にあった。彼は、「大丈夫か?」と不安を隠せない審査部の人間を、若者でにぎわう原宿の街に連れ出し、若者向け衣料のビジネスがどんな状態にあるかを実地で体感させ、あわせてB社の店の賑わいぶりを見せた。社へ帰る途中、担当者は明るい口調でつぶやいた。「これなら大丈夫だ」。

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